美しい葉脈

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川瀬敏郎さんなら

虫食いの葉こそ美しいと

仰います。

美しい葉脈に

美しい虫食いの葉



by soboro0128 | 2016-10-13 02:40 | 川瀬敏郎さん

極論かもしれないけれども、
いい男とめぐり会って傷ついて、
その体験から出てきたもののほうが、
よっぽどあなたの花になると言いたい。
自分の人生を一度も賭けたことの
ない人の花なんて、
誰の心も揺さぶることないんですよ。
大切なのは、あなたのオンリーワンの
花を求めていくこと。
決して美人ではないのに存在自体が
美しい人や、何をしても不器用なのに
魅力的な人はいっぱいいます。
逆に、そつがなくてきれいだけれど、
心をちっとも打たない人もいる。
花も人と同じ。
要は、人の心の扉を開かせる花か、
そうではない花か、
それだけのことです。

あなただけの「花」を見つけようより



by soboro0128 | 2016-04-29 00:43 | 川瀬敏郎さん

綺麗ね〜

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飼い主さん、今日のお花綺麗ね〜。

ね〜、綺麗だね〜。

可愛いですね〜。

ね〜、可愛いね〜。

by soboro0128 | 2015-11-25 02:07 | 川瀬敏郎さん

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川瀬敏郎さんの言葉は、

哲学的で、

難しくて理解できない部分もあるけれど、

一言一言が心に強く響きます。

日々、真剣勝負で花に向かう姿は

求道者のような凛とした清々しさを

感じさせてくれるです。

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by soboro0128 | 2015-11-22 11:04 | 川瀬敏郎さん

全部読めなかったら太字の部分だけでもどうぞ。
きっと勇気づけられますよ。



【日本人の分母は「自然」】

 私が尊敬する折口信夫という国文学者は、日本の短歌がたった三十一文字で千数百年続いてきたのは、自然という共有できる背景があったからだと語っています。歌にしろ、花にしろ、茶にしろ、「日本のもの」というのは、常に自然という「共通の分母」の上に、「私という点」を形にしてきました。これは、ヨーロッパの、人間という分母の上に個の在り方を示してきたこととは対照的です。

 かつて、川端康成がノーベル文学賞を受けたときに、「美しい日本の私」という講演をしました。これは結局自然という分母の中に、四季を通じて永遠に「美」としての「私という点」を打ち続けていく、その私が実は「日本の私」であるということです。四季が人間の一生を表わし、四季と共生していく中から美という独自の心の境地を生みだしていった。

 その「美」というのは、ある種の「殺人者」だと、私は思っています。たとえば、茶席では初座を終えて、後座の席に初めて一輪だけ花が入るのですが、茶席のにじりロから見上げたときに、清らかな花が一輪、床の間の中心に打ち入れられている。それが心の真ん中に飛び込んできたとき、一輪の花でずぱっと心の扉が切り開かれ、死んだともわからないほどに殺される。殺されることが、美として生きたことになる。血も流さず、まるで何ごともなく、清らかなものを見たと思えてしまうほどの、刺し傷をひとつも残さない花、それが千利休が教えた詫び茶の湯の「一輪の花」なんです。

 利休にはなれないけれども、心の扉を開く一輪の花をいけたいと思うなら、「花をならう」のではなく、「花にならう」こと。花をならうことは単にスタイルをならうだけで、それではその人の人生や品性を表わす花にはなりません。本来の「花をいける」ことが、江戸時代中期以降に生まれた流派いけばなと結びつき、「いける」が「いけばな」と同義語と化したことは、日本の花の不幸かもしれません。


だったら、極論かもしれないけれども、
いい男とめぐり会って傷ついて、
その体験から出てきたもののほうが、
よっぽどあなたの花になると言いたい。
自分の人生を一度も賭けたことのない人の
花なんて、誰の心も揺さぶることないんですよ。
大切なのは、あなたのオンリーワンの花を求めていくこと。
決して美人ではないのに存在自体が美しい人や、
何をしても不器用なのに魅力的な人はいっぱいいます。
逆に、そつがなくてきれいだけれど、
心をちっとも打たない人もいる。
花も人と同じ。
要は、人の心の扉を開かせる花か、
そうではない花か、
それだけのことです。


【心の数だけ花はある】

人間が花を見ているのと同じように、花も人間を見ています。春風にそよぐ芽吹きの柳を見ていると、ふと「この枝を切ってほしい」と柳のほうから呼びとめられたような気がして、心が柳に向かいます。しかし、実際に切るのかというと、それが生かされることのないものなら、私は切りません。花を切るという作業は本来、とても覚悟のいることです。そこに真実がなければ一本たりとも切ることは許されません。切ったものが新たな心を宿して、人を浄めたり喜ばせることがないのならば、文字どおり花を殺すことになります。

 しかし切ることはまた、花にとってはまったく違うものと出会っていくことでもあります。花どうしの出会いもありますが、いけ手の中にある花の像を室内に持ち込むことで、器との出会いが生まれます。またどういう場所に飾るのかも大事なことになります。こうした出会いは、もとより花自身にはできないことです。出会いを基本とするいける行為が、ひるがえってその人の生き方の鑑になるのです。ですから、心の数だけ花はあるのです。

 花をいけることは、その人自身であると同時に、その人の心の証を大地に刻み続けていく行為そのものです。今よりもっと自分らしい花をいけたいとおもうなら、自分が裸になって、自然と真正面からぶつかることです。心を一本の花に託してきたこの国の自然は、古代よりこの方、心をいかしてくれる人を求め続けている。今なお自然はいける人の手を待っているのです。あなたの手を待っているのです。

by soboro0128 | 2015-11-21 19:13 | 川瀬敏郎さん

川瀬敏郎『一日一花』

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川瀬敏郎さんの

『一日一花』(いちにちいっか)

を毎日毎日眺めています。

今まで誰も気に留めることのなかった

名前も知らない草花や、虫食いの葉っぱ、

曲りくねった枝たち、枯れた草木、

その本当の美しさに私たちが気が付くのを

ジッと待っていたのでしょうね。

青々とした葉や、華麗で満開の花、

真っ直ぐ伸びた枝に向きがちな

私たちの視線がいつか自分たちに

向かうことを・・・。

今では虫に食われた葉こそが美しく感じます。

見方をほんの少しだけ変えただけで、

こんなにも素敵で愛おしいものが

自分の周りに溢れていたことを気づかせてくれる

『一日一花』です。

日常のどこでも見られる何の変哲もない

草花たちの凛とした本当の美しさを教えてくれた

川瀬敏郎さんにとても感謝しています。

川瀬敏郎さんの言葉で一番大好きなのは、

「何気ないものに心を集約して行く」です。

この言葉を知ってから、何事に対しても

面倒臭いからやりたくないという

気持ちが起きなくなりました。



by soboro0128 | 2015-11-09 17:23 | 川瀬敏郎さん

想いは通じる

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今ちょうど、この花を見ていて
お友達に似ているなーと思ったら
そのお友達からメールが来ました。
びっくりしました。
想いは通じる。

6月6日
夏蠟梅ナツロウバイ
南方の美女を思わせる花です。

『一日一花』より






by soboro0128 | 2015-11-05 22:55 | 川瀬敏郎さん